2010年07月31日

カレー

   かれ^3.JPG    カレー4.JPG

猫厳しい暑さが続きます。
猛暑を通り越して酷暑となっている毎日です。
お店のお客さま達も夏ばて気味で食欲がないと仰る方が増えています。
少しでも食欲をそそるようにと、今日の日替わりは辛口のカレーにしました。
カレーを仕込むのに使う月桂樹の葉は店の庭先にあります。
義母が生前植木鉢に植えていたのを店を改築した時に移植したのですが以来地に馴染んだのかどんどん成長して見上げるような大木になりました。
まじかにあるで朝夕目にしその木から色々なことを教えられます。
厳しい冬の間も青々とした葉をつけていますが若葉の頃には古い青葉は枝の後方で日に日に小さくなってしまいます。
この時期、カレーを仕込むのに若葉では風味がなく、古い青葉では小さすぎて役に立たずに困ることがあります。
しかし、それもつかの間で枝先の若葉はぐんぐん成長し、葉の厚みも増して夏には新しい立派な青葉となります。
月桂樹の葉の世代交代の間に生じるわずかな空白。
このわずかな空白期間が現代社会では許されていないのではないかとふと思いました。
この時期を待つほんの少しの余裕ががないため、人間社会ではスムースな世代交代が出来ないのではないでしょうか?
政治においてもすぐに結果を求めるのではなく若葉から役に立つ青葉に変わるまでの時を待つ余裕が必要ではないかと思います。


     一枝に世代交代夏落ち葉strong>
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2010年07月11日

桔梗の 桔梗の寺(遍照寺)

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猫今日は葵句会の吟行でした。
あいにくの雨でしたが大型のマイクロバスで桔梗の寺として新聞各誌に紹介されている遍照寺にお伺いし大きな感動を頂いた一日でした。
吟行のお世話をして頂いている会員さんが、昨年この寺院に行かれとても良かったので、葵句会の今年の吟行先に決められました。
その会員さんのご紹介の通り素晴らしい処で句会の皆さん全員が大満足をされました。
塵ひとつなく隅々まで手入れの行届いた境内に咲き溢れる桔梗の見事さ。
これ程立派な桔梗を見たのは初めてです。
雨にぬれた紫が匂い立つようです。
特に樹齢何百年かと思われるような楠の大樹の根元に植えられた桔梗はあたかも仏が宿っておられるような深い色合いです。
見るものの心まで澄んでくるような桔梗の花の色。
それにも増して心を打たれたのは観覧者をお接待してくださる遍照寺の奥様の姿でした。
訪れる者を誰彼なく迎え入れてお接待をされる姿にみ仏の心を見るような気がしました。
宗教心の薄い私には仏教のことはよく分かりませんが人としてのあるべき姿を垣間見る思いがしました。
桔梗を模った綺麗な生菓子と美味しいお茶の接待を受け、又本堂でお弁当も使わせて頂きました。
丁度その時、外出先から御住職もお戻りになり色々なお話も聞かせ頂きました。
本当に身も心も洗われるようなひと時でした。
又、帰りにはお見送りまでしていただき感謝のことばもありません。
今日のこの感動を忘れずに明日からの糧にしてゆきたいと思います。
遍照寺の本堂の隅の小さな衝立に次のことばが記されていました。

自分のために使ういのちは見えないが、人のために使ういのちは輝いて見える。


     桔梗の色の雫や遍照寺
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2010年07月01日

七月

    しちがつ2.JPG    しちがつ1.JPG

猫7月になりました。
梅雨最中の蒸し暑い日が続きます。
今日も午後から雷を伴った激しい雨が地面に叩きつけています。
夕暮れも早く、夏至からまだ10日も経っていないのに随分日が短くなったような気がします。
瞬く間に月日が流れ、人の身にもさまざまな時が流れてゆきます。
6月26日に葵句会の例会を終えましたが会員さんの一人が8月から明石に引っ越されることになりました。
その方は1昨年癌と診断され抗癌治療を続けておられましたが、明石の癌センターまでの通院が体力的に無理になり、病院の近くの明石に居を移されることになったのです。
投句はされますが句会への参加は難しくなるので6月の例会には是非とも出席して句友との別れがしたいと仰っていました。
ところが当日の朝ご体調が悪く欠席されたので選句結果や句会の様子を文面でお報せしました。
その礼のお電話が先ほどあり、やはりどうしても句友のみなさんと会いたいので7月11日に葵句会が計画している吟行に参加したいと申されます。
ご自身のいのちの時を刻んでおられるようなその言葉に私も是非とも参加されることをお勧めしました。
吟行は桔梗の寺といわれる香美町の遍照寺を計画していますが距離的にもそう遠くなく又マイクロバスを用意していますのでお身体に無理になるようなことはないと思います。
どうぞ、当日つつがなく句友との楽しい時を持たれるようにとひたすら願っております。
一期一会、出会い、別れ様々な人事を織り成して今年もはや半年が過ぎ去ってゆこうとしています。


   頚椎に骨の七つや梅雨じめり
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2010年06月14日

母卒寿

   ははそつじゅ2.JPG   ははそつじゅ3.JPG

猫12,13日と1泊2日で日和山の金波楼で母の卒寿のお祝いをしました。
お祝いといっても卒寿の母を囲んで私達3兄妹の夫婦が揃っての内輪のお祝いで、その発起人は実は卒寿の母自身でした。
米寿のお祝いの時にこの金波楼の雰囲気と対応が余りにも良かったので、その感動が忘れられず今度は自分がこども達夫婦を招待したいというのです。
高齢の母に招待されるのは何か心苦しいような気もしましたが、母の好意を素直に受けて私達3夫婦が一同に会しました。
普段は顔を合わせてもなかなかゆっくり話す機会がなく、こうして揃って1泊するのは久しぶりです。
漁火の見える最上級のお部屋で食事を頂きましたが、女中さんの対応もよく板長さんからは心ずくしのお祝いのお赤飯や立派なお料理に母へのメッセージまで添えられていました。
その宴席で、こども達3夫婦を前にして母がお礼のことばを述べました。それは私達兄妹へではなくそれぞれの連れ合いに対してでした。
兄嫁、私の主人、妹の主人、その一人ひとりに感謝の気持ちを伝えました。
自分の母ながら母の立派さに頭が下がる思いがし、胸が熱くなりました。
事前に母からお祝いの金品はいっさい不要と申し渡されていましたので、兄嫁と私と妹で母に色紙一枚だけを贈りました。
 わが母に優る母なし桐の花    愛子
 徳深き母の色なり花菖蒲    さち子
兄嫁の筆になる私と妹の句の色紙を母に渡しました。
母と同居している兄は普段は照れくさくて言えない母への「ありがとう」という言葉を述べました。
日和山の素晴しい景観と金波楼の心のこもったおもてなしの中で母というものの偉大さ,優しさを改めて噛みしめた2日間でした。



    つばくらめ卒寿なほ子を案じをり

    


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2010年06月06日

豊岡市美術団体合同展 

   ごうどうてん2.JPG   ごうどうてん4.JPG

猫豊岡市文化協会設立25周年記念事業の一環として書道、絵画、写真、彫刻、陶芸などの合同展が4,5,6の3日間市民会館を会場として開催されています。
同窓生で書家である西村鶏州氏から私の句を作品にした由のご案内を頂いており、最終日の今日、会場に行ってきました。
三年前に自費出版した随想句集つれづれから抜き出して頂いたとのことで、堂々たる筆遣いで大作にしあげておられ、自分の句の拙さが恥ずかしくなりました。
鶏州氏の書の大きさ立派さに対して自分の句がとてもみすぼらしく思われました。
同窓のよしみで作品にして頂いた鶏州氏のご好意に感謝すると共に今日のこの恥ずかしさを糧にして精進したいと思います。
そして、いつか鶏州氏の書に恥じない句が詠めるようようになった時に共作展が出来ればと願っております。


    若葉風筆に力の漲れり
   
posted by あいちゃん at 17:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月24日

若葉

   わかば1.JPG   わかば2.JPG

猫22日に葵句会の5月例会を終え6月初めの日高の句会までのこの1週間が時間的にも気分的にも一番ゆっくりします。
6月の兼題は両句会とも若葉なので雨上がりの午後久しぶりに駐車場の空き地を見に行きました。
葉のない侘助が花を咲かせていたのに感動し投稿して以来です。
そして、今日又その侘助に素晴しい感動をもらいました。
この感動をどうことばに表したらよいのでしょう?
生きていることの素晴しさ、永らえることの大切さ。
ことばではとても言い尽せない侘助の姿をカメラに収めました。
虫に葉を一枚残らず喰い尽され、枯死するしか術がないと思っていた侘助の今日の姿です。
裸同然だった枝に柔らかな瑞々しい葉が一杯に広がってまるで若木のように再生しています。
もし、この侘助が人の目にふれる庭にあったら、再生の姿を見るまでに伐採されてしまっていたことでしょう。
人の手ではなく自然の手に委ねられたからこそこの再生した姿があるのだと思います。
自然の治癒力と懐の深さに改めて畏敬の念を禁じえません。
それと同時に人がなす行為への疑問も湧いてきます。
浅学素人の私には専門的なことは全く分かりませんが今日本国中を揺るがしている口蹄疫による感染で処分される家畜のいのち。(処分ということばにも抵抗を感じます)
そのニュースが流れる度に耳を覆いたくなるような日々ですが人がいのちを支配することが果たして許されるのかという思いが頭から離れません。
万物のいのちを支配できるのは自然のみではないでしょうか?
侘助の再生した姿を見ながらその思いがますます強くなってゆきます。


   伐らるるを免れけふの若葉かな
posted by あいちゃん at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

但馬の食と農の未来

   しょくとのう.JPG   しょくとのう3.JPG

猫相変わらず慌しい毎日ですが今年もふるさとづくり大学を受講することにし、昨日その開講式と第1回の講座がありました。
神戸大学名誉教授で兵庫県農魚村社会研究所長の保田茂先生の講座で「但馬の食と農の未来」というお話でした。
但馬だけではなく、日本の村全てが抱えている問題を最新のデーターを示しながらわかりやすく説明して頂き、今私達がおかれている現状を知ると同時にそんな情況を生み出した私達の世代の罪深さに改めて慄然としました。
先生の講義は時間の経つのを忘れるほど、全てが心に残るものでしたが特に日本がこれから迎えようとしている高齢化社会は人類史上はもとより、生物界においても前例のない初めてことであるということ。
又、私たちが何気なく選択してきたライフスタイルが今の日本の現状を生み出した根源であるということ。
手軽だからと言ってパンを食べ安いからと言って輸入食品を買い日本の農業を台無しにしてしまったこと。
このままでは20年後には日本の村が全てなくなってしまうという統計。全ての生物は子孫を残すために最大限の努力をする。
「あなた達は子孫のために何をしましたか?田んぼに石がないのは何故でしょう?ご先祖が代々一つづつ拾って今の田が出来たのです。あなた達は次世代のために田んぼの石を拾いましたか?子供たちに何を食べさせ何を教えてきましたか?」
次世代の道を自らの手で遮断してしまった私達の世代の責任を優しい口調で問われました。
日頃、おぼろげに実感しているさまざまなことを、緻密なデーターのもとで指摘されて身のすくむ思いがしました。
そして先生が最後に締めくくられたのは、自分を自分自身で維持していくための決意が必要であるということ。
医療に頼らない自分の健康を維持していくための食のあり方。
それを見直すことが但馬の農へのひとつの足がかりになるのではないかということでした。
「おばあさんライオンをこどもライオンが世話をしているのを見たことがありますか?自分の身は自分で処するのが生き物なのです」
先生のこのことばを私自信の老いへの格言にしたいと思います。

     若葉風家に大黒柱消え
posted by あいちゃん at 18:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

障子

   しようじ1.JPG   しょうじしん3.JPG

猫美しい若葉の季節を迎えました。
昨日から連休を利用してお店の障子の張替えと床のクリーニングをしてもらいました。
年に一度、この季節に行っていますが、古いお店が見違えるほど綺麗になります。
開店当初、和風喫茶として営業していた関係で、その後の改装や改築の時にも障子だけは残してきました。
そのことが、お店が老朽化するにつれ、とても役立つようになりました。安価で手早く綺麗にすることができるからです。
クロスの張替えなどはそんなに度々できるものではありませんが、障子だけは簡単に1〜2日で綺麗になります。
そして、真白い障子に張り替えた時の気持ちの良さはことばでは言い尽くせません。
窓からの若葉風が障子の白さでいっそう清々しく感じられます。
日本人の心、日本人の知恵が生み出した障子の魅力を今更ながら再認識しています。
最近では、個人のプライバシーが重んじられ障子のような開放的な建具が少なくなりました。
ドアに鍵をかけるのが常識になってしまった現代社会。
それが是か否かは浅学の私にはわかりませんが、何かしら割り切れないものを感じています。
武器を持つことが戦争に繋がるように、鍵をかけることが却って犯罪を助長させているのではないかとも思ったりします。
私の子供の頃はどの家にも鍵がありませんでした。
鍵は人の心にも鍵をかけてしまったような気がします。
ひと昔前の田舎の開放的な間取りで育った私は休日の今日、朝から家中を開け放って五月の風を入れています。

 
     開け放つ四方八方若葉風

posted by あいちゃん at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

侘助

   わびすけ1.JPG   わびすけ3.JPG

猫昨日今日と珍しく暖かい日差しに恵まれました。
前の駐車場の片隅でも日々、草が萌え木々が芽吹いています。
私にとって、この小さなエリアはかけがえのないオアシスであり、様々なことを教えてくれる学びの場でもあります。
ここで今、これまでに何回かご紹介した侘助が花を咲かせています。
葉を虫に一枚残らず喰い尽くされ枯死寸前だと思っていた侘助が莟だけ残っていた枝に次々に花を咲かせているのです。
今まで見たことのない光景であり、そして胸を打たれる光景です。
何というけなげな逞しさでしょう。
これ程の悪条件の中で見事に花を咲かせた侘助に、只々驚き「すごい!」「えらい!」と心の中で褒め称えています。
生きているということの素晴しさ。
耐え抜くということの価値。
この半年間でこの侘助はどれほど多くのことを私に教えてくれたことでしょう。
葉のない侘輔は正式の花としては半分の美しさしかありませんがその一輪一輪はことばでは言い尽せないほど輝いて誇らしげです。


   侘助や教わることの多くして
posted by あいちゃん at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

但馬芸術文化会議総会

   げいぶんそうかい1.JPG   げいぶんそうかい2.JPG

猫昨日は但馬芸文の総会でした。
桜の満開の文教府で総会と表彰式、その後、市内の料理店で交流会が行われました。
その道の権威者の方が多く、若輩者の私には場違いな会です。
四年前にあるご縁で入会させて頂いたのですが、最初に参加した時「あなたは問題だ」と面と向って言われました。
それでも、余り気にしない性分なので、厚かましくそのまま会員にして頂いて現在に至っています。
特に俳句の分野では私とは一回り以上年上の方ばかりなので、ご指導を仰ぎながら末席を汚しています。
今回の交流会では運良く、この会の副会長でもある俳人のN先生と同じテーブルになり、色々貴重なお話を聞かせて頂くことができました。
N先生は沢木欣一に高校生の頃に師事されてより、細見綾子、中村草田男、鈴木六林男、金子兜太など幅広い人脈で俳句活動をされてきました。
私にとっては、句を通してだけしか知りえない、そんな俳人達の生の姿をお聞きすることは、とても興味深く貴重な体験でした。
そんなお話の中でN先生がふと述懐されたことばが、最後まで耳に残りました。
「色々な俳句を学び自信も詠んできたが最近、手を振りかざしたような俳句は余り好まなくなってきた。」
そのことばが何を意味するのか、自分自身の日々の句作の中で問いかけてゆきたいと思っています。



    芽柳の風の流れに従へり
posted by あいちゃん at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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