2008年11月30日

忘年句会

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猫今日は葵句会の忘年句会でした。
今回は直前になって、会員さんのご家族の入院とか出産、亦急用などが頻発し、出席者が予定の半数の13名になってしまいました。
少し人数的に淋しい気もしましたが、それなりに懇親の度合いを深めることができたような気がします。
月例会は何時も人数が多くて、ゆっくりお話ができませんが、今日はお一人づつのご意見や思いをお聞きしてとても参考になりました。
いつも思うのですが、人は人から学ぶのが一番多くのものを得られるような気がします。
本やネットで知識を得ることは勿論大切ですが、それぞれの人たちがその人なりに蓄えられた知識や見識、亦体験などをじかにお聞きすることもとても勉強になります。
今日も実績と年齢を重ねられた方たちのお話の中で色々なことを教えていただきました。
ある会員さんは現在ロータリーの会長をしておられ、ご挨拶をされる機会が多く、「挨拶が苦手だから、締めくくりに即席で一句披露してお茶を濁す」と仰います。
亦ある方は芭蕉に精通しておられ、色々な知識を補足して下さいます。
皆さん年上で見識のある方なので、教えを乞うことばかりです。
宴席に挨拶に来られた、ここの女社長さんが、「先生は一体どなたですか?」と冗談で尋ねられらた程です。
このような立派な会員さん達に囲まれている幸せに感謝し、その方たちのお力をお借りしながら精進をしてゆきたいと考えています。
今年も余すところ一ヶ月、12月の兼題は歳末にしました。
一日一日を刻むような心構えで過ごしたいと思います。黒ハート


     人の和のふんわり温き忘年会
posted by あいちゃん at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

紅葉

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猫青峰句会の南但例会に出席させて頂きました。
青峰句会の主宰者のK先生の車で養父のはざまじ峠にある、萬理というお料理家さんに行き、そこで、句会と食事をした後、養父神社の紅葉を見ました。
ご一緒した写真家のNさんが「ここの紅葉は但馬一よ」と仰る通り、本当に見事でした。
盛りは少し過ぎていましたが、それでも、その鮮やかさはことばで表現出来ないほどでした。
一本の紅葉に赤、黄、緑の葉が混じりあい、えもいえない風雅な雰囲気を醸し出しています。
境内に散り敷いている落葉紅葉もまだ色褪せず綺麗なままです。
色を選んで一枚ずつ拾い集めました。
何にするという目的がなくても拾わずにはいられないような美しさでした。
朽ちてゆく前のいのちの煌めきでしょうか?
なぜかとても愛おしく感じられます。
いのちのあるものは全て朽ちてゆく、でもいのちがあるからこそ、朽ちる寸前まで煌めくことができるのだと思います。
そんないのちを大切にしたいと思います。
余りにもいのちが軽視される昨今の世情を悲しまずにはいられません。黒ハート


    散り敷きてなほ煌めける紅葉かな

posted by あいちゃん at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

初雪

   はつゆき(8)1.JPG   はつゆき(8)2.JPG

猫初雪が降りました。
昨夜から冷え込んでいましたが、朝には山がうっすらと雪化粧をしていました。
例年より早い雪の季節の到来です。
雪国の住人は雪を好みません。
その厳しさを骨の髄まで味わってきたからです。
私も子供の頃から雪が嫌いでした。
雪は子供達から遊び場を奪い、不自由を押し付けました。
雪の深く積もった通学路の歩きにくさも深く記憶に残っています。
雪の中の一本道を上級生の後を辿りながら歩くのですが、足元が滑るので何度も雪の中に転びます。
その時に首筋にまで入り込んでくる雪の冷たさを今でも感覚として思い出します。
特にストーブ当番で、早朝に学校に行く時などは、道のない雪の中を全身雪まみれになって、学校に着き薄暗い教室の石炭ストーブを悴んだ手で燃やしつけた記憶など、雪には辛い思い出が重なります。
けれども、初雪だけは、やはり美しいと思います。
特に今年の初雪のように早いものは、根雪になることも無く消えてしまうので、尚更その儚さに惹かれます。
朝の町に薄いベールを被せたような初雪はとても清らかで、昨今のおぞましい世相を洗い清めてくれるようです。
そして、その清らかな初雪は半日も留まることなくまたたく間に消えてしまいました。失恋


   初雪に清められたる古庇
posted by あいちゃん at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

文化祭

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猫15,16日の両日、地区の文化祭が開催されました。
当地区は940世帯の大きな地区で、広い会館もあります。
その会館を会場として区民の趣味の作品が展示され、葵句会からも会員さんの句を出品しました。
葵句会の会員28名のうち、10名がこの地区の方で、その方たちの作品を出させていただきました。
地元の会員さんが多いのは、最初に葵句会に入会して頂いた方の、お力添えによるもので、その方の誘いで男性会員さんが増え、現在、区長さんをはじめ8名の男性の会員さんがおられます。
このことは、句会を運営していく上でとても助かります。
皆さん、地位と見識のある方ばかりで、年下の頼りない主宰者を支えて下さり、そのお蔭で滞りなく会を続けさせて頂いています。
不思議なもので、晩年の趣味や同好の会でも、男女どちらの方も居られる会のほうが華やぎがあり、活気があります。
以前、ある先生から「生ある限り性はあり」という言葉を教えて頂きましたが、本当にその通りだと思います。
そして更にいうならば、人は性別は勿論、老若、色々な人と接してこそ、人間本来の生き方ができるのではないかと思います。
行動範囲の狭い私には、そんなに多数の人と接する機会はありませんが、せめて地元の地区の方をはじめ一期一会のお出会いも大切にしてゆきたいと思っています。黒ハート


     手作りの温もり溢る文化祭

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2008年11月13日

小春日和

   こはるび1.JPG   こはるび2.JPG

猫但馬には珍しく昨日、今日と小春日和になりました。
この時期は特に陽射しのある日とない日では気温や明るさが大きく異なります。
限りなく明るい春の陽と違って、周囲の景色も陽射しによって広がったり狭くなったりします。
降り注ぐ陽射しは柔らかいけれど一抹の翳りを持ち、それだけに胸の中にまで染み透るような温もりが感じられます。
小春とは眞に云い得て妙、この時期にピッタリの季語です。
人の一生を例えるなら小春は晩年期でしょうか?
青春時代の春も現役世代の夏も過ぎ、ほっとひと息をつく年代、老いや死といった厳しい冬の時代を迎える前の短い平安の時期だと思います。
そして、この時期こそが、歩んできた各々の歳月で染め上げられる人生の紅葉の時期でもあります。
それぞれが自分色に染まってゆきます。
小春日に誘われて店の近くの遊歩道から落葉を拾ってきました。
若葉や花のような瑞々しさはありませんが、どの葉にも言いようのない味わい深さと美しさがあります。
それは若葉や花に劣らない美しさのように思われます。
何か勇気が湧いてくるような気がします。
「小春日は春日より短く紅葉の時期も直ぐに終わってしまうけれど、それなりに充分輝くことができる」と自身に言い聞かせることができます。
晩年を恐れず自分なりの色に輝くために日々精進したいと思います。黒ハート


     小春日の庭や身仕舞ひし尽くせり
posted by あいちゃん at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

無住時

   むじゅうじ2.JPG   むじゅうじ3.JPG

猫先日、実家の父の7回忌をしました。
実家の菩提寺は隣村にあるのですが、住職ご夫婦が高齢で施設に入所しておられるので現在は無住寺になっています。
そのため仏前の法要を他所のお寺のご住職にお願いしました。
この地方では、自宅での法要の後、菩提寺にお参りする慣習になっており、無住寺へも同行して頂きました。
父が亡くなった時には、まだ無住寺になっていなかったので、僅か数年の間に変わり果てた菩提寺のさまに唖然としました。
檀家の人達が交代でお守りをしておられ、掃除はゆきとどいていますが、やはり、人気のない寺院は殺伐としています。
かって村人の心の拠り所であり、慰安の場所でもあった菩提寺が荒れてゆくさまはとても悲しいものです。
子供の頃、潅仏会には露店が出たりして、賑わった境内が、今ではとても狭く感じられ、別の場所のように思われます。
菩提寺だけではなく、実家の近くにある墓地の周辺も荒れ放題で、鹿の防護網をしていないところは、一木一草まで食べ尽くされています。
柿の木は、太い枝が無残にへし折られており「熊が木に登って自らの体重をかけて枝ごと折るのだ」と実家の兄が説明してくれました。
心の中にあるふるさとの風景がことごとく消えてゆきます。
ふるさとを荒らし国土を荒らしているものの正体は何でしょう?
家の近くまで毎夜のように出没するという熊や猪、鹿などの獣ではなく、それは人の心に棲んでいる飽くなき欲望ではないかと忸怩たる思いに捉われます。失恋



    無住寺の石段登る蔦もみじ
posted by あいちゃん at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

伊勢神宮

   いせじんぐう2.JPG   いせじんぐう4.JPG

猫2日3日の連休に夫婦で伊勢神宮にお参りしました。
主人は何度も行っていますが、私はこれまで機会がなくて今回が初めてです。
電車で2日の2時頃に駅に到着、タクシーで神宮まで行きました。
ところが、当日は全国大学駅伝が開催されており、伊勢神宮がそのゴール地点になっていました。
毎年、恒例のことだということを考慮せずに、旅行の予定を組んだようです。
とにかく、物凄い人混みです。
広い参道が、人の波で身動きがとれないほどでした。
来る途中の電車の中で、伊勢神宮の予備知識を得ておいたのですが、それをゆっくりと、確認することなど、とてもできません。
ただ、そんな喧騒のなかにも、やはり太古よりの気配を感じられるものが随所にありました。
私の乏しい知識では樹齢を推し量ることのできない見事な大木、幾度もくぐる大鳥居、森の中に放し飼いにされている神鶏、池の金色の大鯉、人々の喧騒を包み込んでしまう歴史の磐石の重みが感じられました。
内宮参拝の許可証を持参していましたので、神官の案内で玉石の敷き詰められた門内での参拝もさせていただきました。
清らかな五十鈴川を見ながら宇治橋を渡り帰路につく頃には、人の流れも少し納まっていたので大鳥居の前で主人と写真を撮りました。
この場所では必ず写真を撮ろうと行く前から決めていました。
と言うのは、実家の母に「新婚旅行を兼ねてお参りした」と子供の頃から聞かされていた父母の古ぼけた記念写真に写っている場所がこの場所なのです。
若々しい父と母が大鳥居の前で写している写真はくっきりと私の胸に映像として残っています。
世代を経て、私達夫婦が(若いという年はとっくに過ぎてしまったけれど)こうして同じ場所に立てる幸せを心から感謝したいと思います。黒ハート

   
          喧騒の伊勢参道や鵙日和







posted by あいちゃん at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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