2010年03月29日

葵句会総会

   あおいくかいそうかい1.JPG   あおいくかいそうかい2.JPG

猫昨日、平成21年度葵句会総会を無事終えました。
句会員さんが28名と大所帯になったので、昨年の忘年懇親会から食事をともなう総会などの行事は地区の公民館をお借りしています。
幸い区長さんや、地区内の方達も句会員さんですので、気軽に広い会場を使わせて頂くことができます。
会長さんの挨拶に始まり、会計報告、監査報告などスムースに総会を終えることが出来、3月の例会もいつものように実施しました。
新年度を迎えるにあたり改めて句会の運営は会員の皆さんのご協力と支えがあってこそのものであると強く実感しています。
会場のテーブルの設置や湯茶の支度、お料理の注文や配膳、また終了後の後片付けなど、全て会員さんたちが手分けして快く引き受けて下さいました。
未熟な主宰者を支えてくださる会員の皆さんに心より感謝しております。
皆さんのご厚情にどうしたらお応え出来るのか、非力な私にはとても難しいことですが、感謝の気持ちを決して忘れることなく日々精進を積み重ねてゆきたいと思います。



   弥生尽ひとつひとつを積み重ね
posted by あいちゃん at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

芽吹き

   芽吹き1.JPG    芽吹き2.JPG  

猫寒暖の繰り返しの中、季節は足早に過ぎてゆきます。
一雨ごとに芽吹きが進み野に緑が目立つようになってきました。
明日の日替わりに使おうと思って前の空き地にユキノシタを摘みにゆきました。
ユキノシタは前に投稿した侘助の下に生えているのですが、侘助の葉が虫に喰い尽されてしまい、日当たりが良くなったせいでしょうか、随分大きくなっていました。
そして、そのユキノシタの中に侘助の小さな若木が芽吹いていました。
まだ、ほんの小さな苗ですが、それでも青々とした葉をつけています。葉がなくなって今にも枯死しそうな親木のそばに芽吹いた若木。
いつか、立派な侘助に成長することでしょう。
逆境に耐え、脈々と受け継がれてゆく草木のいのち。
いのちを繋いでゆくという自然の壮大な営みに胸がおののきます。
万物の霊長を自負している人類の傲慢さを思い知らされるような気がします。
自然界の一住人としてもっと謙虚であるべきではないかと自問自答しています。
夕方に来られたお客様にここみを頂いたので先ほど摘んだユキノシタと昨日友人から届いた独活を併せて天ぷらにしました。
大切な芽吹きのいのちを頂くことを感謝しながら夕餉の一品にしたいと思います。


   尊みて芽のてんぷらを食すかな
posted by あいちゃん at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

言霊

   ことだま1.JPG   ことだま2.JPG

猫12日の俳句教室ひだかの準備を終えほっとしています。
句作をしたり添削をしたりする時、一語の重みをひしひしと感じます。
一語が持つ力の大きさに驚き、また惧れを抱きます。
俳句はわずか17文字なのでひとつの言葉が一句を左右します。
ことばの大切さを学ぶのが俳句なのかもしれません。
もともと先人はことばには言霊が宿るとしてことばを敬い、その扱いにも万全の注意を払ってきました。
忌みことばとして蘆を葦、梨を有りの実、硯箱を当り箱などとしてことばから受ける不吉な意味や連想をを避け、ことばの端々にまで気くばりをしてきました。
それがメディアの発達によって大きく変わってきました。
取捨選択をする余地のないほどの大量のことばが氾濫し、刺激的なことばが万人の耳に入ってくるようになりました。
私が子供の頃には殺すとか死ぬなどということばは恐ろしくて大人も子供も決して口にしませんでした。
ところが、私の息子達の子供時代になるとテレビゲームの中で殺す殺されるということばを平気で使うようになりました。 
現在では更にもっともっとエスカレートしています。
俳句におけることばの重みや力を切実に感じている昨今、何かとても不安です。
日々報道される連鎖的な事件の頻発は言霊がなせるわざではないかなどと考えてしまいます。


    ひとひらに浮力引力春の雪
posted by あいちゃん at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

椿

   つばき1.JPG   つばき2.JPG

猫里の母が椿を持ってきてくれました。
赤、白、ピンクと色とりどりでとても綺麗です。
軒先にまで徘徊する鹿に下枝はみな喰われてしまったそうですが、それでも鹿の背の届かないところには、このように綺麗な花を咲かせているとのことです。
加齢のせいか最近、何を見てもいのちの愛おしさを感じます。
いのちのあるものの美しさは一木一草に至るまでみな同じです。
鹿の難を逃れて美しく花開いた椿。
生きのびてこそ、この時を迎えられたのだと思います。
戦争を知らない世代として生まれ、平和と自由を享受しながら生きてこられた幸せ、そして今こうして生かされていることの有難さをしみじみ感じます。
この身に余る幸せや感謝の気持ちを何かに表すことが出来るのでしょうか?
非力な私に何ができるのか?日々問いかけながら暮らしたいと思います。
今日から三月、いよいよ本格的な春の訪れです。
椿は木に春と書きます。
すべての人達、そしていのちあるもの全てに春が来ることを願ってやみません。
おりしも、先ほど東井義雄先生の記念事業として発刊されていた「いのちのことば」の最終刊号を東井義雄白もくれんの会顧問のK先生に戴きました。


    大輪のいま解れんと唐椿
posted by あいちゃん at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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