2010年07月31日

カレー

   かれ^3.JPG    カレー4.JPG

猫厳しい暑さが続きます。
猛暑を通り越して酷暑となっている毎日です。
お店のお客さま達も夏ばて気味で食欲がないと仰る方が増えています。
少しでも食欲をそそるようにと、今日の日替わりは辛口のカレーにしました。
カレーを仕込むのに使う月桂樹の葉は店の庭先にあります。
義母が生前植木鉢に植えていたのを店を改築した時に移植したのですが以来地に馴染んだのかどんどん成長して見上げるような大木になりました。
まじかにあるで朝夕目にしその木から色々なことを教えられます。
厳しい冬の間も青々とした葉をつけていますが若葉の頃には古い青葉は枝の後方で日に日に小さくなってしまいます。
この時期、カレーを仕込むのに若葉では風味がなく、古い青葉では小さすぎて役に立たずに困ることがあります。
しかし、それもつかの間で枝先の若葉はぐんぐん成長し、葉の厚みも増して夏には新しい立派な青葉となります。
月桂樹の葉の世代交代の間に生じるわずかな空白。
このわずかな空白期間が現代社会では許されていないのではないかとふと思いました。
この時期を待つほんの少しの余裕ががないため、人間社会ではスムースな世代交代が出来ないのではないでしょうか?
政治においてもすぐに結果を求めるのではなく若葉から役に立つ青葉に変わるまでの時を待つ余裕が必要ではないかと思います。


     一枝に世代交代夏落ち葉strong>
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2010年07月11日

桔梗の 桔梗の寺(遍照寺)

   へんしょうじ1.JPG     へんしょうじ3.JPG

猫今日は葵句会の吟行でした。
あいにくの雨でしたが大型のマイクロバスで桔梗の寺として新聞各誌に紹介されている遍照寺にお伺いし大きな感動を頂いた一日でした。
吟行のお世話をして頂いている会員さんが、昨年この寺院に行かれとても良かったので、葵句会の今年の吟行先に決められました。
その会員さんのご紹介の通り素晴らしい処で句会の皆さん全員が大満足をされました。
塵ひとつなく隅々まで手入れの行届いた境内に咲き溢れる桔梗の見事さ。
これ程立派な桔梗を見たのは初めてです。
雨にぬれた紫が匂い立つようです。
特に樹齢何百年かと思われるような楠の大樹の根元に植えられた桔梗はあたかも仏が宿っておられるような深い色合いです。
見るものの心まで澄んでくるような桔梗の花の色。
それにも増して心を打たれたのは観覧者をお接待してくださる遍照寺の奥様の姿でした。
訪れる者を誰彼なく迎え入れてお接待をされる姿にみ仏の心を見るような気がしました。
宗教心の薄い私には仏教のことはよく分かりませんが人としてのあるべき姿を垣間見る思いがしました。
桔梗を模った綺麗な生菓子と美味しいお茶の接待を受け、又本堂でお弁当も使わせて頂きました。
丁度その時、外出先から御住職もお戻りになり色々なお話も聞かせ頂きました。
本当に身も心も洗われるようなひと時でした。
又、帰りにはお見送りまでしていただき感謝のことばもありません。
今日のこの感動を忘れずに明日からの糧にしてゆきたいと思います。
遍照寺の本堂の隅の小さな衝立に次のことばが記されていました。

自分のために使ういのちは見えないが、人のために使ういのちは輝いて見える。


     桔梗の色の雫や遍照寺
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2010年07月01日

七月

    しちがつ2.JPG    しちがつ1.JPG

猫7月になりました。
梅雨最中の蒸し暑い日が続きます。
今日も午後から雷を伴った激しい雨が地面に叩きつけています。
夕暮れも早く、夏至からまだ10日も経っていないのに随分日が短くなったような気がします。
瞬く間に月日が流れ、人の身にもさまざまな時が流れてゆきます。
6月26日に葵句会の例会を終えましたが会員さんの一人が8月から明石に引っ越されることになりました。
その方は1昨年癌と診断され抗癌治療を続けておられましたが、明石の癌センターまでの通院が体力的に無理になり、病院の近くの明石に居を移されることになったのです。
投句はされますが句会への参加は難しくなるので6月の例会には是非とも出席して句友との別れがしたいと仰っていました。
ところが当日の朝ご体調が悪く欠席されたので選句結果や句会の様子を文面でお報せしました。
その礼のお電話が先ほどあり、やはりどうしても句友のみなさんと会いたいので7月11日に葵句会が計画している吟行に参加したいと申されます。
ご自身のいのちの時を刻んでおられるようなその言葉に私も是非とも参加されることをお勧めしました。
吟行は桔梗の寺といわれる香美町の遍照寺を計画していますが距離的にもそう遠くなく又マイクロバスを用意していますのでお身体に無理になるようなことはないと思います。
どうぞ、当日つつがなく句友との楽しい時を持たれるようにとひたすら願っております。
一期一会、出会い、別れ様々な人事を織り成して今年もはや半年が過ぎ去ってゆこうとしています。


   頚椎に骨の七つや梅雨じめり
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2010年06月14日

母卒寿

   ははそつじゅ2.JPG   ははそつじゅ3.JPG

猫12,13日と1泊2日で日和山の金波楼で母の卒寿のお祝いをしました。
お祝いといっても卒寿の母を囲んで私達3兄妹の夫婦が揃っての内輪のお祝いで、その発起人は実は卒寿の母自身でした。
米寿のお祝いの時にこの金波楼の雰囲気と対応が余りにも良かったので、その感動が忘れられず今度は自分がこども達夫婦を招待したいというのです。
高齢の母に招待されるのは何か心苦しいような気もしましたが、母の好意を素直に受けて私達3夫婦が一同に会しました。
普段は顔を合わせてもなかなかゆっくり話す機会がなく、こうして揃って1泊するのは久しぶりです。
漁火の見える最上級のお部屋で食事を頂きましたが、女中さんの対応もよく板長さんからは心ずくしのお祝いのお赤飯や立派なお料理に母へのメッセージまで添えられていました。
その宴席で、こども達3夫婦を前にして母がお礼のことばを述べました。それは私達兄妹へではなくそれぞれの連れ合いに対してでした。
兄嫁、私の主人、妹の主人、その一人ひとりに感謝の気持ちを伝えました。
自分の母ながら母の立派さに頭が下がる思いがし、胸が熱くなりました。
事前に母からお祝いの金品はいっさい不要と申し渡されていましたので、兄嫁と私と妹で母に色紙一枚だけを贈りました。
 わが母に優る母なし桐の花    愛子
 徳深き母の色なり花菖蒲    さち子
兄嫁の筆になる私と妹の句の色紙を母に渡しました。
母と同居している兄は普段は照れくさくて言えない母への「ありがとう」という言葉を述べました。
日和山の素晴しい景観と金波楼の心のこもったおもてなしの中で母というものの偉大さ,優しさを改めて噛みしめた2日間でした。



    つばくらめ卒寿なほ子を案じをり

    


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2010年06月06日

豊岡市美術団体合同展 

   ごうどうてん2.JPG   ごうどうてん4.JPG

猫豊岡市文化協会設立25周年記念事業の一環として書道、絵画、写真、彫刻、陶芸などの合同展が4,5,6の3日間市民会館を会場として開催されています。
同窓生で書家である西村鶏州氏から私の句を作品にした由のご案内を頂いており、最終日の今日、会場に行ってきました。
三年前に自費出版した随想句集つれづれから抜き出して頂いたとのことで、堂々たる筆遣いで大作にしあげておられ、自分の句の拙さが恥ずかしくなりました。
鶏州氏の書の大きさ立派さに対して自分の句がとてもみすぼらしく思われました。
同窓のよしみで作品にして頂いた鶏州氏のご好意に感謝すると共に今日のこの恥ずかしさを糧にして精進したいと思います。
そして、いつか鶏州氏の書に恥じない句が詠めるようようになった時に共作展が出来ればと願っております。


    若葉風筆に力の漲れり
   
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2010年05月24日

若葉

   わかば1.JPG   わかば2.JPG

猫22日に葵句会の5月例会を終え6月初めの日高の句会までのこの1週間が時間的にも気分的にも一番ゆっくりします。
6月の兼題は両句会とも若葉なので雨上がりの午後久しぶりに駐車場の空き地を見に行きました。
葉のない侘助が花を咲かせていたのに感動し投稿して以来です。
そして、今日又その侘助に素晴しい感動をもらいました。
この感動をどうことばに表したらよいのでしょう?
生きていることの素晴しさ、永らえることの大切さ。
ことばではとても言い尽せない侘助の姿をカメラに収めました。
虫に葉を一枚残らず喰い尽され、枯死するしか術がないと思っていた侘助の今日の姿です。
裸同然だった枝に柔らかな瑞々しい葉が一杯に広がってまるで若木のように再生しています。
もし、この侘助が人の目にふれる庭にあったら、再生の姿を見るまでに伐採されてしまっていたことでしょう。
人の手ではなく自然の手に委ねられたからこそこの再生した姿があるのだと思います。
自然の治癒力と懐の深さに改めて畏敬の念を禁じえません。
それと同時に人がなす行為への疑問も湧いてきます。
浅学素人の私には専門的なことは全く分かりませんが今日本国中を揺るがしている口蹄疫による感染で処分される家畜のいのち。(処分ということばにも抵抗を感じます)
そのニュースが流れる度に耳を覆いたくなるような日々ですが人がいのちを支配することが果たして許されるのかという思いが頭から離れません。
万物のいのちを支配できるのは自然のみではないでしょうか?
侘助の再生した姿を見ながらその思いがますます強くなってゆきます。


   伐らるるを免れけふの若葉かな
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2010年05月17日

但馬の食と農の未来

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猫相変わらず慌しい毎日ですが今年もふるさとづくり大学を受講することにし、昨日その開講式と第1回の講座がありました。
神戸大学名誉教授で兵庫県農魚村社会研究所長の保田茂先生の講座で「但馬の食と農の未来」というお話でした。
但馬だけではなく、日本の村全てが抱えている問題を最新のデーターを示しながらわかりやすく説明して頂き、今私達がおかれている現状を知ると同時にそんな情況を生み出した私達の世代の罪深さに改めて慄然としました。
先生の講義は時間の経つのを忘れるほど、全てが心に残るものでしたが特に日本がこれから迎えようとしている高齢化社会は人類史上はもとより、生物界においても前例のない初めてことであるということ。
又、私たちが何気なく選択してきたライフスタイルが今の日本の現状を生み出した根源であるということ。
手軽だからと言ってパンを食べ安いからと言って輸入食品を買い日本の農業を台無しにしてしまったこと。
このままでは20年後には日本の村が全てなくなってしまうという統計。全ての生物は子孫を残すために最大限の努力をする。
「あなた達は子孫のために何をしましたか?田んぼに石がないのは何故でしょう?ご先祖が代々一つづつ拾って今の田が出来たのです。あなた達は次世代のために田んぼの石を拾いましたか?子供たちに何を食べさせ何を教えてきましたか?」
次世代の道を自らの手で遮断してしまった私達の世代の責任を優しい口調で問われました。
日頃、おぼろげに実感しているさまざまなことを、緻密なデーターのもとで指摘されて身のすくむ思いがしました。
そして先生が最後に締めくくられたのは、自分を自分自身で維持していくための決意が必要であるということ。
医療に頼らない自分の健康を維持していくための食のあり方。
それを見直すことが但馬の農へのひとつの足がかりになるのではないかということでした。
「おばあさんライオンをこどもライオンが世話をしているのを見たことがありますか?自分の身は自分で処するのが生き物なのです」
先生のこのことばを私自信の老いへの格言にしたいと思います。

     若葉風家に大黒柱消え
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2010年05月03日

障子

   しようじ1.JPG   しょうじしん3.JPG

猫美しい若葉の季節を迎えました。
昨日から連休を利用してお店の障子の張替えと床のクリーニングをしてもらいました。
年に一度、この季節に行っていますが、古いお店が見違えるほど綺麗になります。
開店当初、和風喫茶として営業していた関係で、その後の改装や改築の時にも障子だけは残してきました。
そのことが、お店が老朽化するにつれ、とても役立つようになりました。安価で手早く綺麗にすることができるからです。
クロスの張替えなどはそんなに度々できるものではありませんが、障子だけは簡単に1〜2日で綺麗になります。
そして、真白い障子に張り替えた時の気持ちの良さはことばでは言い尽くせません。
窓からの若葉風が障子の白さでいっそう清々しく感じられます。
日本人の心、日本人の知恵が生み出した障子の魅力を今更ながら再認識しています。
最近では、個人のプライバシーが重んじられ障子のような開放的な建具が少なくなりました。
ドアに鍵をかけるのが常識になってしまった現代社会。
それが是か否かは浅学の私にはわかりませんが、何かしら割り切れないものを感じています。
武器を持つことが戦争に繋がるように、鍵をかけることが却って犯罪を助長させているのではないかとも思ったりします。
私の子供の頃はどの家にも鍵がありませんでした。
鍵は人の心にも鍵をかけてしまったような気がします。
ひと昔前の田舎の開放的な間取りで育った私は休日の今日、朝から家中を開け放って五月の風を入れています。

 
     開け放つ四方八方若葉風

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2010年04月19日

侘助

   わびすけ1.JPG   わびすけ3.JPG

猫昨日今日と珍しく暖かい日差しに恵まれました。
前の駐車場の片隅でも日々、草が萌え木々が芽吹いています。
私にとって、この小さなエリアはかけがえのないオアシスであり、様々なことを教えてくれる学びの場でもあります。
ここで今、これまでに何回かご紹介した侘助が花を咲かせています。
葉を虫に一枚残らず喰い尽くされ枯死寸前だと思っていた侘助が莟だけ残っていた枝に次々に花を咲かせているのです。
今まで見たことのない光景であり、そして胸を打たれる光景です。
何というけなげな逞しさでしょう。
これ程の悪条件の中で見事に花を咲かせた侘助に、只々驚き「すごい!」「えらい!」と心の中で褒め称えています。
生きているということの素晴しさ。
耐え抜くということの価値。
この半年間でこの侘助はどれほど多くのことを私に教えてくれたことでしょう。
葉のない侘輔は正式の花としては半分の美しさしかありませんがその一輪一輪はことばでは言い尽せないほど輝いて誇らしげです。


   侘助や教わることの多くして
posted by あいちゃん at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

但馬芸術文化会議総会

   げいぶんそうかい1.JPG   げいぶんそうかい2.JPG

猫昨日は但馬芸文の総会でした。
桜の満開の文教府で総会と表彰式、その後、市内の料理店で交流会が行われました。
その道の権威者の方が多く、若輩者の私には場違いな会です。
四年前にあるご縁で入会させて頂いたのですが、最初に参加した時「あなたは問題だ」と面と向って言われました。
それでも、余り気にしない性分なので、厚かましくそのまま会員にして頂いて現在に至っています。
特に俳句の分野では私とは一回り以上年上の方ばかりなので、ご指導を仰ぎながら末席を汚しています。
今回の交流会では運良く、この会の副会長でもある俳人のN先生と同じテーブルになり、色々貴重なお話を聞かせて頂くことができました。
N先生は沢木欣一に高校生の頃に師事されてより、細見綾子、中村草田男、鈴木六林男、金子兜太など幅広い人脈で俳句活動をされてきました。
私にとっては、句を通してだけしか知りえない、そんな俳人達の生の姿をお聞きすることは、とても興味深く貴重な体験でした。
そんなお話の中でN先生がふと述懐されたことばが、最後まで耳に残りました。
「色々な俳句を学び自信も詠んできたが最近、手を振りかざしたような俳句は余り好まなくなってきた。」
そのことばが何を意味するのか、自分自身の日々の句作の中で問いかけてゆきたいと思っています。



    芽柳の風の流れに従へり
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2010年04月05日

   さくら1.JPG   さくら3.JPG

猫今日は24節気の清明です。
字の如く清らかな明るい季節になりました。
但馬の各地も桜が満開で一年で一番華やいでいます。
昨日、母を連れて出石城の桜を見に行きました。
日中は混雑が予測されたので、午後三時ごろから出かけましたが。それでもお天気が良かったのと桜の一番の見ごろとあって、多くの観光客で賑わっていました。
近くに住んでいても、めったに来る機会が無く、母などは何十年ぶりかだと言っていました。
母の記憶の中にある出石の町とは全く変わっていて観光地として整備されています。
お城の周辺には今、まさに桜が満開でまだ一片だに散っていません。
そんな満開の桜を見ながら何かしら、しっくりしないのはどうしてでしょう?何か感じが違うのです。
その原因が分からなくて、心に引っかかっていましたが、今日お店のお客さんが話されているのを聞いて、やっと思い当たりました。
「今年の但馬の桜は少し色が薄い」ということです。
そうなのです。桜の色に艶がないのです。
色が薄いというか桜の花のしっとりした仄かな色合いがなく、散り際のような、剥げた感じがします。
これは今年、、但馬に雪が降らなかった事と関係があるのではないかと考えます。
雪の下で野菜が甘くなるように、雪の冷たさや厳しさは桜に艶やかな美しさを与えているのだと思います。
情況が厳しければ厳しいほど、内に蓄えるものが深く艶やかになってゆくのでしょうか?
もし、そうだとすれば、快適を求め、便利さを追求することは、人の心にも色の薄い桜の花を咲かせることになるのでしょうか?
何はともあれ、恙なく今年も桜の季節を迎えられたことを心より感謝しています。


   そこだけは闇せまらずに大桜






   
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2010年03月29日

葵句会総会

   あおいくかいそうかい1.JPG   あおいくかいそうかい2.JPG

猫昨日、平成21年度葵句会総会を無事終えました。
句会員さんが28名と大所帯になったので、昨年の忘年懇親会から食事をともなう総会などの行事は地区の公民館をお借りしています。
幸い区長さんや、地区内の方達も句会員さんですので、気軽に広い会場を使わせて頂くことができます。
会長さんの挨拶に始まり、会計報告、監査報告などスムースに総会を終えることが出来、3月の例会もいつものように実施しました。
新年度を迎えるにあたり改めて句会の運営は会員の皆さんのご協力と支えがあってこそのものであると強く実感しています。
会場のテーブルの設置や湯茶の支度、お料理の注文や配膳、また終了後の後片付けなど、全て会員さんたちが手分けして快く引き受けて下さいました。
未熟な主宰者を支えてくださる会員の皆さんに心より感謝しております。
皆さんのご厚情にどうしたらお応え出来るのか、非力な私にはとても難しいことですが、感謝の気持ちを決して忘れることなく日々精進を積み重ねてゆきたいと思います。



   弥生尽ひとつひとつを積み重ね
posted by あいちゃん at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

芽吹き

   芽吹き1.JPG    芽吹き2.JPG  

猫寒暖の繰り返しの中、季節は足早に過ぎてゆきます。
一雨ごとに芽吹きが進み野に緑が目立つようになってきました。
明日の日替わりに使おうと思って前の空き地にユキノシタを摘みにゆきました。
ユキノシタは前に投稿した侘助の下に生えているのですが、侘助の葉が虫に喰い尽されてしまい、日当たりが良くなったせいでしょうか、随分大きくなっていました。
そして、そのユキノシタの中に侘助の小さな若木が芽吹いていました。
まだ、ほんの小さな苗ですが、それでも青々とした葉をつけています。葉がなくなって今にも枯死しそうな親木のそばに芽吹いた若木。
いつか、立派な侘助に成長することでしょう。
逆境に耐え、脈々と受け継がれてゆく草木のいのち。
いのちを繋いでゆくという自然の壮大な営みに胸がおののきます。
万物の霊長を自負している人類の傲慢さを思い知らされるような気がします。
自然界の一住人としてもっと謙虚であるべきではないかと自問自答しています。
夕方に来られたお客様にここみを頂いたので先ほど摘んだユキノシタと昨日友人から届いた独活を併せて天ぷらにしました。
大切な芽吹きのいのちを頂くことを感謝しながら夕餉の一品にしたいと思います。


   尊みて芽のてんぷらを食すかな
posted by あいちゃん at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

言霊

   ことだま1.JPG   ことだま2.JPG

猫12日の俳句教室ひだかの準備を終えほっとしています。
句作をしたり添削をしたりする時、一語の重みをひしひしと感じます。
一語が持つ力の大きさに驚き、また惧れを抱きます。
俳句はわずか17文字なのでひとつの言葉が一句を左右します。
ことばの大切さを学ぶのが俳句なのかもしれません。
もともと先人はことばには言霊が宿るとしてことばを敬い、その扱いにも万全の注意を払ってきました。
忌みことばとして蘆を葦、梨を有りの実、硯箱を当り箱などとしてことばから受ける不吉な意味や連想をを避け、ことばの端々にまで気くばりをしてきました。
それがメディアの発達によって大きく変わってきました。
取捨選択をする余地のないほどの大量のことばが氾濫し、刺激的なことばが万人の耳に入ってくるようになりました。
私が子供の頃には殺すとか死ぬなどということばは恐ろしくて大人も子供も決して口にしませんでした。
ところが、私の息子達の子供時代になるとテレビゲームの中で殺す殺されるということばを平気で使うようになりました。 
現在では更にもっともっとエスカレートしています。
俳句におけることばの重みや力を切実に感じている昨今、何かとても不安です。
日々報道される連鎖的な事件の頻発は言霊がなせるわざではないかなどと考えてしまいます。


    ひとひらに浮力引力春の雪
posted by あいちゃん at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

椿

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猫里の母が椿を持ってきてくれました。
赤、白、ピンクと色とりどりでとても綺麗です。
軒先にまで徘徊する鹿に下枝はみな喰われてしまったそうですが、それでも鹿の背の届かないところには、このように綺麗な花を咲かせているとのことです。
加齢のせいか最近、何を見てもいのちの愛おしさを感じます。
いのちのあるものの美しさは一木一草に至るまでみな同じです。
鹿の難を逃れて美しく花開いた椿。
生きのびてこそ、この時を迎えられたのだと思います。
戦争を知らない世代として生まれ、平和と自由を享受しながら生きてこられた幸せ、そして今こうして生かされていることの有難さをしみじみ感じます。
この身に余る幸せや感謝の気持ちを何かに表すことが出来るのでしょうか?
非力な私に何ができるのか?日々問いかけながら暮らしたいと思います。
今日から三月、いよいよ本格的な春の訪れです。
椿は木に春と書きます。
すべての人達、そしていのちあるもの全てに春が来ることを願ってやみません。
おりしも、先ほど東井義雄先生の記念事業として発刊されていた「いのちのことば」の最終刊号を東井義雄白もくれんの会顧問のK先生に戴きました。


    大輪のいま解れんと唐椿
posted by あいちゃん at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

蕗の薹

   ふきのとう10の1.JPG    ふきのとう10の2.JPG

猫句会員さんから蕗の薹を頂きました。
今年の冬は但馬に雪がなく蕗の薹も早こんなに大きくなっています。
そして、昨年のブログにも掲載したように最近の蕗の薹はとても薄着です。
近年暖冬が続き厳しい寒さに耐える必要がないからでしょう。
外皮がほがほがして空洞があり、中まで見えます。
私が子供の頃雪間から摘んだ蕗の薹とは随分ようすが違いスマートです。
大雪に耐えやっとかおを出した蕗の薹はもっと厚着で中身がぎっしりと詰まった感じで形も丸々していました。
気候や環境の変化は生き物の生態をこんなに変えてしまうのでしょうか?
私たち人間も同じだとすると何か恐ろしいような気がします。
暖房の完備した生活に慣れてしまった私達は衣服が薄着になっただけでなくもしかしたら内面までも空洞化しているのではないかという惧れを抱きます。
それでも、頂いた蕗の薹は夕餉の一品として天ぷらにすると、ほのかな苦味と春の香りが口中に広がりました。
どのような環境の変化にも堪え得る本質が万物にあることを信じようと思います。


   人一人草一本や蕗の薹
posted by あいちゃん at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

異変

   いへん1.JPG   いへん3.JPG

猫私のテリトリの駐車場の隅の空き地に異変がおきています。
この空き地には戦後にくず鉄拾いから一代で財を成された方が仕事の合い間に植えられた野山の草木がそのまま残っています。
大半が駐車場になっていますが、猫の額ほどの隅の部分が昔のままで田舎育ちの私にとってはかけがえの無いオアシスです。
その空き地の草木の一本、侘助に一大事がおきています。
昨年の秋頃から少し元気がないと思っていましたが、ついにこの冬、葉が一枚も無くなってしまいました。
この木に取り付いた虫に葉を喰い尽されてしまったのです。
見るも無残な姿になってしまった侘助にことばもありません。
僅かにのこっている小さな蕾も葉がなければ生きてはいけず、ほどなく枯死してしまうでしょう。
私がここに嫁してくる以前から毎年慎ましやかな花を咲かせていた侘助の余りの変わり果てように胸を締めつけられます。
このところの暖冬は何を意味しているのでしょう。
雪が降っても翌日には急激に気温が上がり、以前のように積雪が何日も続くようなことはありません。
雪かきや雪下ろしといった重労働から開放される反面、微妙な自然のバランスが崩れてしまいました。
害虫がそのまま生き残って草木や農作物を食荒らします。
又、積雪による飢餓によって自然淘汰されていた鹿が暖冬によって殖え過ぎ山の木々を食荒らしています。
実家の母の話によると里山の木々の葉も家の庭木の葉も一枚残らず鹿に喰い尽されてしまっているということです。
残っている緑といえば、毒になる馬酔木だけだそうです。
古人は雪を豊作の前兆として尊び万葉集の家持の歌にも「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」と詠まれています。
天候の異変が植物の異変になり人々の異変となってゆく。
ドミノ倒しのように破滅へと向うのではないかという強い不安に駆られます。


   侘助の葉陰にありてこそ好けれ
posted by あいちゃん at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

葵初句会

   あおいはつくかい1.JPG   あおいはつくかい3.JPG

猫23日は葵句会の2010年初句会でした。
新年会と重なって欠席の方もありましたが、多数の参加者を得て無事終えることができました。
今月の互選で高得点だったのはお母様の喪のため欠席された方の句でした。
1月8日に93歳のお母様を見送られたとのことで、その追悼句はいずれも胸を打つものばかりでした。
私たちは何のために俳句を学ぶのか?
私は辻桃子さんの著書の中の「「俳句を学ぶのは世界にたった一人しかいない自分のただ一度きりの生を書き留めておくため」という言葉に共感し句会でもそのことをお話しています。
ずっと以前、ある句会に所属していた頃、その句会に一人暮らしをされている老人がおられました。
その方が 「父母なくも帰る村あり稲の花」という句を詠まれたことがありました。
あれから長い年月が経ちますので、その方はすでに故人になられていますが毎年、稲の花が咲く頃になるとその句を思い出します。
初句会で私が特選に頂いたのは「雪浄土二千十年の光射す」という句でした。
「点滴をみつめ続ける去年今年」「意識なく母おだやかに年を越す」という句と同時に出されたその追悼句は大晦日から元旦にかけて但馬の地に降り積もった雪景色の中でお母様を見送られた作者の思いが凝縮されているような気がします。 
未熟な主宰者の私には俳句の本当の良し悪しはわかりませんが、その人にしか詠めない句、その人だから詠める句ををめざして、今年も会員の皆さんと共に学んでゆきたいと思っています。


  初雪のひと夜一句を抱きたり
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2010年01月14日

大雪

   おおゆき1.JPG   おおゆき4.JPG

猫昨日よりの積雪でこの冬一番の大雪になりました。
午前中もずっと降り続き客足も途絶えています。
降りしきる雪を窓に見ながら私が小学1年生だった頃を思い出していました。
実家のある村から小学校までは5Kほどの道程がありました。
その頃は現在とは比べものにならない程雪が多く除雪車もありませんでしたので、いつもは上級生の足跡について登校するのですが、時には背丈を越すくらいの大雪になり、子供の足では歩けなくなります。
そんな朝には母におぶわれて登校しました。
今振り返ってみると、母はあれだけの雪道を幼いといっても小学生の子供をおぶって、どうして歩けたのだろうと不思議に思います。
黙々と歩きながら時々背中の私を揺すり上げる感触を覚えています。
きっと肩に食い込む重さだったに違いありません。
教室まで私を届け、少し授業の様子をのぞいてから又、吹雪の中を帰っていった母の姿が思い出されます。
今更ながらに母から貰ったものの大きさを何かにつけて感じるこの頃です。
幸いにして母は健在で今日も夕方には又、私のところに来る予定になっています。
「年をとると熱いものが一番美味しい」といつも言っている母のために何か暖かい夕食の献立を考えようと思います。


     大雪や母の匂ひの母の背

   
posted by あいちゃん at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

初句会

   はつくかい2.JPG   はつくかい3.JPG

猫今日は俳句教室ひだかの初句会でした。
年末年始の疲れがでたのか、この2,3日体調を崩し38度の熱が続いたため、句会の準備が充分にできず不安でしたが、どうにか無事に初句会を終えることができました。
これまで、体の丈夫なことだけには自身があり、長年の接客業も、体調不良で休んだことは1日もありませんでした。
どんな高熱でも店に出ればすぐに治ってしまい、今回のように3日も熱が続くことはかって無かったことです。
どうにか、店のほうは休まずに営業しましたが、閉店後に句会の準備をする余力が残っていませんでした。
それに、熱のためか声の出も悪く、今日の句会には初めてマイクを使わせて頂きました。
そんな体調不良の講師を暖かく受け入れて下さった会員の皆さんに心より感謝しております。
そして改めて自分の健康に対する責任というものを痛感しました。
自分の体調不良が、自分のみならず会員の皆さんに多大なご迷惑をおかけすることになると改めて思い知らされました。
今日の初句会の体験を元気任せの今までの生活から、体調を管理しながらの生活に切り替える節目にしたいと思います。


     それぞれの顔しみじみと初句会
posted by あいちゃん at 18:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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